春が来たなら

f:id:fumilk:20220219160910j:image

1.

社会人になってからの二年間、特にこの一年間は、noteで何度文章を打っても、同じようなことばかり書いてしまった。

仕事がつらい。落ち込むことばかりだ。自分の心を守るために怒りの感情が先行する日もあるけれど、それも結局、最後は悲しい気持ちにつながる。抜け出せない。

 

世の中には労働に喜びややりがいを見出す人もいるようだけど、私は違うのだと思う。

太陽星座も月星座も見事に蟹座の人間である。幼い頃から占いの本を開くたびに、「母性」というワードが目に飛び込んできた。なるほど、この仕事にも就くわけだ。持ち合わせた母性を注いでも注いでも嫌がられずに、感謝すらされる仕事。小学生の時から、自分は保育士になるのだと、疑いもしなかった。

 

一年目で小枝が折られたとしたら、二年目の今年は幹に思いきり斧を入れられ続けている感覚。痛すぎる。私、この仕事続けられない。

 

 

2.

昨年は、尾道に越してきた。越してきてよかったと思う。

尾道のことが、この土地で暮らしている人たちのことが、心底好きだと思う。まだ知らない部分の方がずっと多いから、知った顔で「私はあなたが好きです」なんてことは言えないけれど。知っていったら、きっともっと好きになる。

だから教えてほしい。普段考えていることや、最近嬉しかったことを。君をかたち作っているものたちの話を。

 

最近はずっとまん延防止が出ていて、一番行きたいご飯屋さんが休業している。山の中腹にある、ご飯と珈琲のお店、アルトさん。

アルトさんはすごい。いつも私の好きなものが出てきて、店主さんが優しくて、キューッと圧迫されていた脳味噌が緩やかに解かれていくような場所。あの味を早く食べたい。優しい場所。お守りのような場所。

 

 

3.

妹に会いたい。お母さんにも、お父さんにも会いたい。毎週末実家に帰りたい。

私にとって、一番安心できて、ありのままでいられる居場所。みんなでUNOやりたい。

 

4.

弐拾dBの、一番奥にある椅子が好き。

あそこに座ると、ちょうど講談社文芸文庫の並んだ本棚が見える。私の一番好きな本は、そこから刊行されている。

『さようなら、ギャングたち』

私が死んだ時は、この本と一緒に燃やしてほしい。そうしたら、何度だって読み返せるでしょう。

 

人は、好きな花の咲く季節に死ぬのだと、むかし藤井さんが教えてくれた。

それならば、私が死ぬのは春だろう。

 

5.

いつも、心のどこかで「逃げたい」と思っている。その結果が昨年春の引っ越しだったのだろうか。結局、ちがう悩みが生まれて、苦しさからは逃げられずにいる。

人の人生において、「四苦八苦」とはよく言ったものだと思う。その苦しさたちを背負ってでも生きる理由はどこにあるのだろう。

生きるというより、生きてしまう。と言った方がしっくりくるだろうか。

 

私の場合は、エンターテイメントが生き抜くための目標のような気がする。

あのコンサートのため、あの映画のため、生きてしまう。映画館の椅子に腰掛けて、館内の灯りが落ちて、映画予告の音が一層大きくなってきた時、「私の人生のメインは、この時間だ」と思う。

遊びこそ、私の人生のメインだ。一生遊んで生きていたい。

人生の軸なのだから、生半可ではいけない。本気で遊ぶのだ。(それは、=賑やかに騒ぐということではない。私は私の温度感で、本気であれば良い。)

 

 

6.

普段はnoteにばかりブログ(?)を書いていて、はてブロに文章をあげることは滅多にない。読み返したら、昨年も一昨年も夏にブログを書いていて笑ってしまった。

「地獄だ……」って這いつくばっていた自分が思い出される。

夏はさ、あの異様な暑さでイライラした年上の方々にあたられまくって、涙もうまく出せないような気の狂い方をしてしまうのだ。だから地獄。人の余裕を削ってしまう季節だから。

冬眠しなくていいから、夏の間だけ仕事したくないな。

 

7.

もうすぐ桜の季節ですね。この前、桜よりも明るいピンク色のカーディガンを買いました。

春になったら着ようと思います。

尾道の春、たまらなく好きです。夏も秋も冬も好きだけど。春は特別。始まりの季節だから。

 

 

 

今日は土曜日。夜になったら、ドラマ『おいハンサム!!』の放送です!

チキン弁当。五番街のマリーへ。傘を横向きに持つ男性。残り7センチのネギ。

愛おしいドラマだよ。

 

f:id:fumilk:20220219162022j:image