Hello, September.
今年の夏は、夏らしいことをほとんどやらなかった。
昨年までは仕事のなかに夏の行事が目白押しで、七夕、灯篭祭り、水遊び……と子どもたちと一緒に夏を楽しんでいた。
今年はそもそも家から出た日も少なくて、ずっと寝て過ごした。寝て起きて、友達と電話して、ご飯を食べて、アニメを見て、また寝る。
26歳の夏はそういう夏だった。
本当は尾道にも行きたかったけれど、行けなかった。
今じゃないのかな、という思いもあった。
8月が終わって、まだまだ暑さは続くけれど9月が訪れた。
すぐに秋と冬がやって来るだろう。私の大好きな季節。
秋の終わりになったら復職する予定だから、また少しづつ社会人の生活リズムに戻っていくだろうか。
大人になって初めての夏休みだった。
大人が夏休みを取るときは何かがおかしくなってしまった時だから、大学生みたいに遊びまわることはなかったけれど、それでもいい夏だった。
次の職場ではどうか長く働くことができますように。もうおかしくならなくて済みますように。
他者にばかり責任の所在を求めないで、自分自身のなかにある課題にもしっかり向き合おう。
コミュニケーションをもっと上手に取れるように、自分と違うタイプの人とも円滑にやっていけるように、心の膿を溜め込まないように。
肝に銘じて。でも無理はしないで。
命より価値のある仕事なんて存在しない。
正社員で働いて、20代前半から付き合った人とそろそろ結婚して……っていう人が周りに多すぎて、たまに本気で気が滅入る。
私の人生が不正解って言われている気になる。
そんなことないって言い聞かせるのも疲れた。
一人暮らしして仕事して、でもダメになっちゃったこと、お母さんから「失敗」として扱われたことに結構傷ついた。
私は何ひとつ失敗だなんて思っていなかったから。
尾道で過ごした時間は私の宝物で、叶うことならもっとずっと居たかった。
気を強く持つのも疲れた。
何かを成し遂げたいとか思えない。
どう生きたい、とかない。
こんな過ごし方って格好悪いと思うけど、格好つけて頑張る気にもなれない。
今はまだ、元気が出ない。
この夏休みが、私のこれからの人生や生き方において価値あるものになりますように。
「あの時、立ち止まって考えこんでいた日々も無駄じゃなかった」と思える日がいつか来ますように。
Hello, September.
美味しい珈琲を飲みに行くことから始めていこう。
花が咲く季節に
死にたくないからブログを書くね。
この苦しさを何処かに逃してあげないと、私はおかしくなっちゃう。
鬱になった時の、この特有の胸の苦しみ。
心理的なものじゃなくて、確実に物理的に胸が痛い。胸の前の部分がぐるって捻られるような感じ。
息が浅くなってしまう。
生きていく自信がなくなってしまうし、頭がぼうっとして考え事ができなくなる。
大音量で音楽を聴くことしかできない。
これまでに見つけてきたお守り達をかき集めて順番に自分に聴かせてみる。
「大丈夫だよ、こっちが私の人生だよ。お願いだから、たまたま出会ってしまった邪悪な人に引っ張られすぎないで」って。
でも無理だよ。
そんな簡単じゃない。
これくらいで心の病気が解決する世の中なら、自殺する人はもっと少ないはずだし、メンタルクリニックなんか必要ない。
今度、精神科に行ってみようと思う。
薬とかで解決するならそうしたい。もう無理。おかしくなっちゃう。
早く家族のところに帰らないと。このまま一人でいたら、そんな状態で虐められるような状況に身を晒していたら、私は本当に取り返しのつかないことになっちゃう。
死に向かう動きにチェンジしてしまう前に、まだまともに頭が機能しているうちに何とかしなきゃ。
どうして、私なんにも悪いことしてないのに、邪悪な人間のせいでこんなことにならなきゃいけないの?
自分の母親じゃなくて良かった、と思うしかできない。せめて身内じゃなくて良かった。
人には人の地獄があると言うけれど、私の人生ではここが地獄だよ。
保育士になんてなったらいけなかったんだ。
働き始めてから3年、酷いことを言う人に沢山出会ってしまって、私はもう二度とこの仕事に就く前の状態には戻れない。
こんなの成長じゃない。
春が来たなら
1.
社会人になってからの二年間、特にこの一年間は、noteで何度文章を打っても、同じようなことばかり書いてしまった。
仕事がつらい。落ち込むことばかりだ。自分の心を守るために怒りの感情が先行する日もあるけれど、それも結局、最後は悲しい気持ちにつながる。抜け出せない。
世の中には労働に喜びややりがいを見出す人もいるようだけど、私は違うのだと思う。
太陽星座も月星座も見事に蟹座の人間である。幼い頃から占いの本を開くたびに、「母性」というワードが目に飛び込んできた。なるほど、この仕事にも就くわけだ。持ち合わせた母性を注いでも注いでも嫌がられずに、感謝すらされる仕事。小学生の時から、自分は保育士になるのだと、疑いもしなかった。
一年目で小枝が折られたとしたら、二年目の今年は幹に思いきり斧を入れられ続けている感覚。痛すぎる。私、この仕事続けられない。
2.
昨年は、尾道に越してきた。越してきてよかったと思う。
尾道のことが、この土地で暮らしている人たちのことが、心底好きだと思う。まだ知らない部分の方がずっと多いから、知った顔で「私はあなたが好きです」なんてことは言えないけれど。知っていったら、きっともっと好きになる。
だから教えてほしい。普段考えていることや、最近嬉しかったことを。君をかたち作っているものたちの話を。
最近はずっとまん延防止が出ていて、一番行きたいご飯屋さんが休業している。山の中腹にある、ご飯と珈琲のお店、アルトさん。
アルトさんはすごい。いつも私の好きなものが出てきて、店主さんが優しくて、キューッと圧迫されていた脳味噌が緩やかに解かれていくような場所。あの味を早く食べたい。優しい場所。お守りのような場所。
3.
妹に会いたい。お母さんにも、お父さんにも会いたい。毎週末実家に帰りたい。
私にとって、一番安心できて、ありのままでいられる居場所。みんなでUNOやりたい。
4.
弐拾dBの、一番奥にある椅子が好き。
あそこに座ると、ちょうど講談社文芸文庫の並んだ本棚が見える。私の一番好きな本は、そこから刊行されている。
『さようなら、ギャングたち』
私が死んだ時は、この本と一緒に燃やしてほしい。そうしたら、何度だって読み返せるでしょう。
人は、好きな花の咲く季節に死ぬのだと、むかし藤井さんが教えてくれた。
それならば、私が死ぬのは春だろう。
5.
いつも、心のどこかで「逃げたい」と思っている。その結果が昨年春の引っ越しだったのだろうか。結局、ちがう悩みが生まれて、苦しさからは逃げられずにいる。
人の人生において、「四苦八苦」とはよく言ったものだと思う。その苦しさたちを背負ってでも生きる理由はどこにあるのだろう。
生きるというより、生きてしまう。と言った方がしっくりくるだろうか。
私の場合は、エンターテイメントが生き抜くための目標のような気がする。
あのコンサートのため、あの映画のため、生きてしまう。映画館の椅子に腰掛けて、館内の灯りが落ちて、映画予告の音が一層大きくなってきた時、「私の人生のメインは、この時間だ」と思う。
遊びこそ、私の人生のメインだ。一生遊んで生きていたい。
人生の軸なのだから、生半可ではいけない。本気で遊ぶのだ。(それは、=賑やかに騒ぐということではない。私は私の温度感で、本気であれば良い。)
6.
普段はnoteにばかりブログ(?)を書いていて、はてブロに文章をあげることは滅多にない。読み返したら、昨年も一昨年も夏にブログを書いていて笑ってしまった。
「地獄だ……」って這いつくばっていた自分が思い出される。
夏はさ、あの異様な暑さでイライラした年上の方々にあたられまくって、涙もうまく出せないような気の狂い方をしてしまうのだ。だから地獄。人の余裕を削ってしまう季節だから。
冬眠しなくていいから、夏の間だけ仕事したくないな。
7.
もうすぐ桜の季節ですね。この前、桜よりも明るいピンク色のカーディガンを買いました。
春になったら着ようと思います。
尾道の春、たまらなく好きです。夏も秋も冬も好きだけど。春は特別。始まりの季節だから。
今日は土曜日。夜になったら、ドラマ『おいハンサム!!』の放送です!
チキン弁当。五番街のマリーへ。傘を横向きに持つ男性。残り7センチのネギ。
愛おしいドラマだよ。
八月の魔物に挨拶を
今晩は、今晩も、眠れないね。
こういう夜はエンターテイメントに甘えきってしまう。
音楽と芸術と文学の海に溺れていたい。
朝なんか来ないで。まだ心臓が痛いままなの。
さて問題です、私は八月を生き抜けるでしょうか。
思い返せば昨年も「地獄だ……」と呟きながら這っていました。
息を潜めるような季節に、いつからなってしまったの。あんなに夏が好きだったのに。
もはや誠実であることしか生き方が分からなくなってしまった人間は、ただひたすらに一日、一日を重ねていくしかありません。
逃げたいけど、逃げる場所もよく見えなくて、そんな元気も残っていなくて。
やっとの思いで己を奮い立たせて玄関に立ちます。ぐっと目を瞑って、その涙は夕方のお風呂場に捧げましょう。
大丈夫、なんて無責任なこと、自分以外にはもう言えない。
大丈夫だよ。死なないよ。ちゃんと生きているし、家族も友達もいるよ。大丈夫だよ。
週末は温泉に行こうかな。
カレーをご馳走してくれるっていう話もあるんだ。
大丈夫、私はよく生きています。本当によくやっています。大丈夫。
八月の魔物に挨拶をして、夏を始めましょうか。
「どうか、お手柔らかにお願いいたします」
弔うように夏を齧った
夏が終わる。
私は生きることに必死なので、毎年その季節に何かを刻みつけようとする。今年の夏は、もしかしたら東京で過ごす最後の夏になるかもしれない。なると良いな。良いだろうか。私には、私のことが分からない。
コロナ流行の夏と、東京五輪真っ只中の夏、パラレルワールドのようだ。実現しなかった夏は、人々の心に宿り続けるだろうね。それぞれに美しいかたちで、補完されて。
私は夏が好きだけれど、今年に限っては夢見心地な思い出で終わらせられるものじゃなかった。本当につらかった。八月の終わりが、ひとつ生き抜くための目標だった。そこだけを見つめて、息を殺して地獄を生きた。本来なら死んだ者が行く場所だろうに。
休みの日は休めばいいのに、欲張りな私はそれでも尚、夏を自分のものにしようと(半ば無意識に)必死だった。
映画館にたくさん行った。ディズニーランドとディズニーシーに行った。友人の家にスイカを丸ごと持ち込んで、齧った。ドライブにも行った。雷雨に見舞われて、終わって欲しいような欲しくないような時間だった。
人生とか旅とか、そんなことについて考える。
現実を見ろと言いながら、夢を叶えようと言う社会。どうせ皆んな無責任だ。
いつか、この夏を抱きしめてあげることができるだろうか。今は少し逃げたいよ。あまりにも疲れてばかりだ。
弱音ばかりで嫌になる、と母。そうだよね。社会人になってから、何度も文章を打ったところでいつも同じことの繰り返しなんだ。それでも書かずにいられない。嫌になるよ。
クーラーばかりの部屋を少しは換気して。扇風機の掃除もして。衣替えをしようか。服も、本も、心持ちも。
私は私の季節を生きるよ。
夏の青さに挨拶をして、秋を迎えにいこう。
おやすみなさい。会いたい人に会えなかった夏。珈琲だけは、変わらず優しかったよ。
幸せについて
幸せについて、たまに考える。
「幸せになりたい」という願望がそもそも的外れであること。
自分の幸せが他人にとっても幸せとは限らないこと。
幸せになりたい人と、幸せに見られたい人の違い。
大学生活が終わろうとする今、この夜、わたしは幸せだ。今日には今日の幸せがある。旅先で買っておいた珈琲を淹れて、慕っていた先輩が贈ってくれたクッキーと共にいただく。テーブルにはチューリップの花。この冬の密かな楽しみだったドラマが佳境に突入した。午前4時、夜更けを越えた先のわたしだけの時間。わたしだけが知っている幸福が、確かにここにある。
四年前、三年前に自分が追い求めた幸せと、今日のわたしが求める幸せは別物だ。同じ人間でも、生きていけば幸せの感じ方や対象は移り変わっていく。それはごく自然な変化で、人生を生きられていることの証でもある。
20歳のときの幸せは、20歳の自分だから感じられたものなのだ。あの時の幸せを経たから、強くも弱くもなった自分が今日を生きている。
だから大丈夫。あの恋も、あの春も、あの会話も、たまに無性に立ち戻りたくなるけれど、ちゃんと思い出にできる。そうすれば、これからも必ず、その時々の幸せを見つけられる。
大学生活は本当に楽しかった。思い出からこぼれ落ちてしまうものが多すぎるくらいに。楽しかった。
でももう思う存分楽しんだから、お酒だって充分すぎるほど飲んだから、お終いにできる。
春からのことは、今はまだ考えたくないけれど、きっと幸せなことの方が多いよ。だから大丈夫。自分の世界が変わろうとする春に、今日までの幸せが味方になってくれることを願って。
そろそろ寝ます。おやすみなさい。
おのみち旅行 3日目
3日目
天気:晴れ
〖行ったところ〗
10:00 チェックアウト
荷物をまとめて、宿にお別れをしました。
最終日は宿の目の前の福本渡船が運休だったので、少し離れたところにある渡船の乗り場まで歩きました。
11:00 喫茶店 ポエム
渡船を降りてまず、荷物をコインロッカーに預けました。アパマンショップの横、1日目と同じところです。
それから尾道水道に沿ってゆっくりゆっくり散歩をしながら、朝ごはんを食べに喫茶店へ向かいました。
遊歩道沿いには「おのみち 海辺の美術館」といって、尾道の風景が描かれたパネルが並べて展示されていました。どの絵も素敵でした。
喫茶店「ポエム」は、映画資料館の角を曲がった通り沿いにあった気がします。2日目に散歩をしていたときに見つけました。
ソファは少し低く、ふかふかしていて気持ちよかったです。クリームコーヒーとホットケーキを頼みました。どちらも本当に美味しかったです。幸せの味がしました。
食べ終えたあとは、弐拾dBさんで買った『三島由紀夫レター教室』を読んでゆっくりしました。三島由紀夫の書く文章は、リズミカルで人間らしく、笑いどころが多いので好きです。
読んでいると、お店の方が梅昆布茶を出してくれました。温かくて優しい味がしました。
(落ち着きすぎて少し長居してしまいました。)
13:00 弐拾dB
どうしてもまた行きたくなって、弐拾dBさんへと向かいました。
古本屋さんは、時代を越えた本たちに出会えるところが魅力ですね。
買った本は4冊。
『どこかにいってしまったものたち』
(宝箱のような本です。)
『ネコ 無用の雑学知識』
(尾道に来てから益々猫が好きになりました。)
『旅 特集:あなたの知らない大東京 1963年8月号』
(東京湾の風に吹かれる倍賞千恵子さんの写真に一目惚れしました。)
『本と本屋とわたしの話 15』
(弐拾dB店主の藤井さんの文章が好きで買いました。他の方のお話もとても好きです。)
お会計のときに店主の藤井さんが声をかけてくださり、尾道でおすすめのご飯屋さんをいくつか教えてくれました。友人の方が営んでいるという「荒神堂専門店」への地図も描いてくれました。とっても嬉しかったです。
14:00 荒神堂専門店
手づくりの地図を見ながら向かいました。
商店街の途中、古い小路を入ったところにありました。
荒神堂専門店はカレー屋さんです。珈琲や、時々喫茶もやっているみたいです。
店内には本が並んでいて、わたしは大きな写真集を読みました。東京の街を、今はもうなくなってしまった建物で過ごす人々を切り取った写真集です。
カレーは香辛料がしっかり効いていて美味しかったです。付け合わせはらっきょうでした。家では福神漬け派なので、なんだか珍しくて嬉しかったです。
それに、お皿も魅力的でした。荒神堂専門店では焼物も扱っているので、こだわりのお皿なのかなと思いました。
ここでもお店の方々に話しかけていただきました。
女性の方が、ワンピースを褒めてくれたんです!嬉しかったなあ。
店主の方(かな?)は背が高くて、照明に頭をぶつけていてなんだか可愛かったです。優しい声をした方でした。
お二人ともお店の外まで見送ってくれて、わたしは本当に幸せ者だと思いました。
16:20 尾道駅を出発
新幹線を一本分見送って、ゆっくり散歩をしてから帰りました。
7月の尾道、風は生温く、じんわりと汗が滴りました。山へ入れば蝉の合唱。商店街を抜けて海へ出れば、潮の音が聞こえてくる。そんな街です。
好きかもしれないと思っていた尾道のことが、大好きになりました。
何よりも、好きな人が増えた旅でした。
必ずまた行きたいと思います。